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StarWars エピソードIII

 地上波ハイビジョンで StarWars エピソードⅢ(以下 EP-Ⅲ) なるものを初めて観た。
初代シリーズのエピソードⅣ(だっけ)以降の3作以来、StarWars から遠ざかっていたのだ。

 率直な印象、俳優演技の実写が時々が混じるCGアニメにすぎないではないか!!

 プレステ3などで結構高品質な実時間VR(Virtual Reality)が日常な体験になってしまっている時代に、お金を払って小屋にわざわざ足を運ばせるだけの見世物を造るために、巨額な資金を投入し、スーパーコンピュータを駆使して、凝りに凝って造った「壮大な」映像のテンコ盛りのつもりなのだろうけれど、いかにも虚しい・・・

 人工映像技術が比較にならない程未熟な時代に造られた初代シリーズ,,は、細かい技術面にだけ目をやれば、チャチな模型撮影のVFXと感じる人が、今の時代多いのかもしれないが、しかし、物理的な「物」に本物の光源を当てて撮影したリアリティの実在感を確かに持っており、それに比べて、人工合成のEP-Ⅲは、この迫力に及ぶべくもない。

 もちろん、当時の「前近代的」SFX技術で、どれだけ撮影に苦労と労力が費やされたかという創作過程そのものの汗と工夫が、実写故の魅力と迫力に寄与していることも大きな要因であろう。

 さらに、それにしても、アナキン・スカイウォーカーがダースベーダーに「堕落」するストーリープロットの出来は一体いかがなものか?と、これまた白けてしまった。

 正義と滅私の崇高な理想に至ったはずのジェタイの価値観が、あれほど通俗に瓦解するなどという構成は、子供だましの謗りを免れない。

 長年築き上げた価値観・人生観が瓦解することは決して稀な事ではなく、しかし、その背面には、簡単に語りつくせない深い闇と論理にできない苦悩が充満しているものである。この一例は、例えば、StarWars初作に比較的近い年代とほぼ同時期に造られた「地獄の黙示録」がある。

 ということで、EP-IIIのラストシーンで、StarWarsの円環は「綺麗」に完結し、この先、記憶から反芻することもないであろう・・・・


(補足:2009/2/23)
「地獄の黙示録」とStarWarsの関係について、以下の記事がある:

引用1) 「この映画(地獄の黙示録)は元来は、1970年代初頭に、南カリフォルニア大学(USC)での仲間であるジョン・ミリアスとジョージ・ルーカスとで進めていた企画であったが、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、企画が通らなかった。のちに、ルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、権利をコッポラに譲り渡した。」

引用2) 「ウィラード大尉役は当初、ハリソン・フォードを予定していたが、スターウォーズの撮影との関係によりマーティン・シーンに変更された。しかし、ハリソン・フォードは撮影の見学に来た折に端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。」

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